与勇輝買取について
与勇輝の買取業者紹介ページをご覧いただきありがとうございます。
こちらのページでは与勇輝の買取の事について書いていきたいと思います。
与勇輝高く売る為に
1 大量にある場合はリストを制作
与勇輝の買取の時に商品の数が大量にある場合はリストをまとめてから査定しましょう。
2 無理に直さない
壊れた与勇輝は無理に直すのはやめましょう。接着剤跡などですぐにわかります。
3 買取方法を選ぼう
基本的に買取の際は店頭買取・出張買取・宅配買取があります。買取方法を決めましょう。
与勇輝について
与勇輝とは、神奈川県川崎市出身の人形作家で、与勇輝の両親は奄美群島に属する与路島の出身です。
与勇輝は7人兄弟の下から2番目に生まれ、幼少期より竹籠や、桶、しゃもじ、スプーン等家の中の物全て手作りする父と、手芸、裁縫を得意とする母や姉に囲まれた子供時代を過ごします。
自身も絵を描く事等工作が大好きで、見よう見まねで服の次あて、布製のカバンの補修、足袋まで縫ってしまう手先の器用さがありました。
与勇輝は1963年に日本デザインスクールを卒業後、1965年よりマネキンの会社へ就職しました。
マネキンの会社で働き始めた与勇輝は、独自に人形の創作を開始します。
生い立ちについて
その後1968年に人形作家である曽山武彦に師を仰ぎ、人形作家としての技術を磨きます。
1970年に 川本喜八郎氏、辻村寿三郎氏等を含む人形作家グループに第2回グループ”グラップ”人形展に参加し、その後第6回まで参加します。
1971年に人形絵本『シンデレラ』、『ピノキオ』の人形の制作担当に就任、1991年にパリ・ルーブル宮の装飾工芸館「世界の人形・今昔展」へ、招待出品を果たします。
1993年に山梨県河口湖町立河口湖ミューズ館・与勇輝館開館を開催し、1994年に人形写真集『ニングル』を倉本聰と共に出版します。
1995年に河口湖町特別町民称号を受け、1998年にNHK朝の連続テレビ小説『天うらら』の人形制作指導を担当します。
1999年に東映映画『鉄道員』の人形作品「雪子」制作し、2000年にはニューヨークで初めての海外個展『The World of YUKI ATAE』を開催し、2006年に、パリ・バカラ美術館『EXPOSITION ATAE YUKI』で個展を開催しました。
2008年 ブラジル移民100周年記念公式事業(外務省主催)サンパウロにて開催され、川崎市文化賞受賞を果たしました。
2010年『昭和・メモリアル 与 勇輝展』を銀座、2011年に大阪・横浜・鹿児島・名古屋・神戸・京都・宇都宮・札幌・熊本、2012年に岡山・富山・金沢・福岡・仙台、2013年に広島で開催しました。
又、2013年には「与 勇輝展 物語のなかに」を川崎市市民ミュージアムにて、「郷愁の人形 与 勇輝作品展」を福山ミュージアム花にて開催しました。2014「郷愁の譜 与 勇輝展」をしもだて美術館にて開催、「与 勇輝展 昭和の情景」を倉吉博物館にて開催しました。
与勇輝の作風については、懐かしい着物姿をした人形、日常の光景、幻想的な妖精が多く、そのほとんどは自然体で生き生きとした子供達がモチーフとされています。
信念
与勇輝は戦後の混乱と荒廃の中で一生懸命に生き抜く人々を見て育っていた為、記憶の中に未だ残っている当時の事を、愛惜の思いを込めながら人形と言う形にしたいという強い思いを持っています。
その為着物姿の子供の作品については、戦後の混乱の中でも明るさを失わずに自然の中へ溶け込むようにして遊んだ当時の子供たちをモチーフにしたリ、自身の思い出を重ね合わせているとの事です。
小さな妖精の作品については、与勇輝が描いた心象風景の中の生き物をモチーフにしており、自由と夢想の世界に棲む妖精です。
妖精の大きさは約20cm程で、汚れの無い妖精たちは与勇輝自身の願望でもあります。