平田郷陽買取について
平田郷陽の買取業者紹介ページをご覧いただきありがとうございます。
こちらのページでは平田郷陽の買取の事について書いていきたいと思います。
平田郷陽高く売る為に
1 大量にある場合はリストを制作
平田郷陽の買取の時に商品の数が大量にある場合はリストをまとめてから査定しましょう。
2 無理に直さない
壊れた平田郷陽は無理に直すのはやめましょう。接着剤跡などですぐにわかります。
3 買取方法を選ぼう
基本的に買取の際は店頭買取・出張買取・宅配買取があります。買取方法を決めましょう。
平田郷陽について
平田郷陽とは、1930年11月25日に生まれ、1981年3月23日逝去した日本を代表とする人形作家の一人で、重要無形文化財宝者(人間国宝)に指定されている方です。
又、平田郷陽の本名は恒雄です。
平田郷陽は東京に生まれ、14歳の時に人形師の初代安本亀八の門弟であった父の元で人形制作の修行をし、活人形(別名:生き人形)の製作技法を習得します。
1924年、平田郷陽が21歳の時に父の跡を継ぎ2代目郷陽を襲名し、日本人形の製作者となります。
1927年には青い目の人形の答礼人形として市松人形を制作しています。
1928年、創作人形を制作する同士等と白沢会を結成し、1935年には日本人形社を立ち上げました。
1936年、創作人形を制作する同士6人と共に第一回帝国美術院展覧会(現在の日本美術展覧会)に作品を出展し入選を果たします。
帝国美術院展覧会入選以降より、帝国美術院展覧会、日本美術展覧会等で目覚ましい活躍ぶりを発揮します。
1955年2月15日、重要無形文化財『衣装人形』の保持者に認定されました。
その後、社団法人日本工芸理事、同人形部会長等を歴任する他、衣装人形研究の陽門会を主宰する等人形師の後継者育成に尽力を努めました。
平田郷陽の代表作
1931年『粧ひ』(蔵:横浜人形の家)、1946年『凧』(蔵:熊本県立美術館)、1948年『姥と金太郎』(蔵:熊本県立美術館)、1965年『童と良寛』(蔵:熊本県立美術館)等があります。
平田郷陽の作風については、初期の頃の人形は活人形(別名:生き人形)らしく今にも動き出しそうな写実的でした。
その後平田郷陽の人形は写実的な物から抽象的なデフォルメ的要素が加えられるようになり、更には様式化、単純化と移りゆきます。
しかし、作風は変われど平田郷陽の作品にはどれも確固とした存在感が放たれており、いずれも繊細な感情表現には平田郷陽特有の特色があると言われています。